経験がないとなんの言葉もでないんだなあと再認識した。

つまりマクドナルドに行ったことがなければピクルスは必要なのかを語れないということ、ゆと部@Lingrで恋の話題についていけなかったということ、ワサビ大盛りの赤身を食べた奴だけがネタにしていいということ。周りで笑ってた奴らは詳細を語るな、語るなら食えという話。
頭をこねくりまわしたぐちゃぐちゃな思考なんて要らないんだよ、それを欲しがるのは見下す相手がいない奴なんだよ、きっと、そう、それはお前なんだ。
経験者は語る。という言い回しがある。感覚としては、経験したひとには未経験のひとが知らない情報があるので参考にしましょう、という感じだろうか。未経験者が参考にするってのは態度でかいな。
500時間考えて出した結果より30分の体験を分析した結果の方を重要視したい。わかってるくせにどうしてこうもケツが重たいのだろう。逃げよう逃げよう逃げようとするんだろう。まあ、どうせ分析なんか出来ないんでしょ俺は。
頭の中はからっぽだ。なにもない。頭のなかのぐちゃぐちゃが晴れたことがない。脳ミソがサランラップで包まれてるみたいに息苦しい。ただ、そのぐちゃぐちゃが暴走したことがないので安全安心一生安泰。いっそのこと爆発してくれればいいと考えたりもしたけれどもう手遅れ、いまさら爆発されたら困るのでこのまま飼いつづけるのが一番良いでしょう。
ここまでが全て推測でしか書けてないのが笑える。
からっぽの冷蔵庫なんかいらないから一週間分の料理の入った冷蔵庫をください。面白く食べてみせます。
出来ないからやらない、というのは守りであり攻めであるけれど、ちょっとずるいよなあ。
わからないときはわからないといいましょう。バカにされます。そういう空気を変えるのはキミだ。
文章を繋げられない。がんばろう。