対価

先日、帰宅のために乗り込んだ電車が車両点検のために停車してしまった。その間、小説を読みながら定期代の代金とはいったい何のために払ったものなのかを考えていた。
まず、切符とは電車に乗るための権利であり、目的地に応じた距離によって料金が変わる。定期券では文字通り定期的に同じ区間を利用するので、それに応じた料金から一定額を割り引いている。なので、僕は移動に対して対価を払っていることになる。
そして遅延の場合、電車は確実に目的地まで移動をするが、はてしなく時間がかかる。今回の場合は40分遅延した。鉄道会社は時刻通りの運行を約束してはいるが、それは料金に含まれていない。
もしも時刻通りの運行ならば、ギートステイトの時刻割りのような料金設定がされていているはずなのだ。それを示すように、鉄道会社にはそのようなサービスがないうえに、振り替え時空輸送を行ってくれなく、切符の代金は運賃と呼ばれる。
では、予定以上に払ってしまった時間の請求はいったいどこへ求めればいいのだろうか。まあ、答えは簡単で"未来"なのだけど、そこへ至るまでの論理もビジュアル表現技術も持ち合わせていない僕はただただ時間を効率的に使えていると過信しつつ浪費させるだけである。
時間に対して、紳士に対応すると未来は過去の価値を高めてくれる。すばらしい作品や文章、関係をつくることができれば、過去は無駄なものから必要だったものへと変容し、世界は一時的に特異点を迎えるわけである。
しかし40分で過去を輝かせるほどの価値を作り出せるわけでもなく、世界が革命されることもなく、なにか素敵な出会い(笑)が起きるわけでもなかった僕は、窓口で怒鳴り散らしていたかわいそうな人びとによってカタルシスを得ることができましたとさ。
おしまい。