変だよ

blogであんなにもメッセージを発していたのにもかかわらず、周囲の人間は止めることが出来なかったということに驚いた。人口過密地域で、綺麗な人が死にたくなるくらいの悩みを抱えたまま死んでいくってあんまりじゃないか。実際に会うと気丈に振舞っていたりしていて、案外大丈夫じゃないか心配して損した、みたいな感じだったのかもしれない。でもやっぱやるせない。
Twitterのtimelineでこのことを知った。人が亡くなって気分が悪くなったのは小学生のときに言った祖父母の葬式以来で、他にも数名がショックだというつぶやきをしていた。
知りたくないことは知らないままでいたいというのが最近の持論なんだけど、知ってしまうと即座に検索してしまう。するとあっという間に情報が出てきた。手段、原因と思われること、昨日まで書かれていたブログ、早く鬱病の診断を受けたほうがいいというアドバイスのコメントを何度も消された話、遺体の発見前にWikipediaが更新されていたという話。本当かどうかはわからないけど一瞬で情報が集まった。
衝撃が大きかったのが昨日出演していたTVの映像で、次の日に亡くなってしまう人がモニターの中で微笑んでいて変な感じがする。こういう人が自分の周りにいたとして、僕は気づけないフリをしてしまうだろう。きっと誰かが助けてあげるだろうって、役に立てないだろうって。
亡くなった人の言葉を思わずTumblrに投げてしまったり、それをネタにつぶやきそうになったり、こうして文字にしてWebに流すのは、知人と昨日のアナウンサーの見た?という会話をすることとなんら代わりが無いはずなのに、なんだかすごく罪悪感を感じてしまう。