変だよ

blogであんなにもメッセージを発していたのにもかかわらず、周囲の人間は止めることが出来なかったということに驚いた。人口過密地域で、綺麗な人が死にたくなるくらいの悩みを抱えたまま死んでいくってあんまりじゃないか。実際に会うと気丈に振舞っていたりしていて、案外大丈夫じゃないか心配して損した、みたいな感じだったのかもしれない。でもやっぱやるせない。
Twitterのtimelineでこのことを知った。人が亡くなって気分が悪くなったのは小学生のときに言った祖父母の葬式以来で、他にも数名がショックだというつぶやきをしていた。
知りたくないことは知らないままでいたいというのが最近の持論なんだけど、知ってしまうと即座に検索してしまう。するとあっという間に情報が出てきた。手段、原因と思われること、昨日まで書かれていたブログ、早く鬱病の診断を受けたほうがいいというアドバイスのコメントを何度も消された話、遺体の発見前にWikipediaが更新されていたという話。本当かどうかはわからないけど一瞬で情報が集まった。
衝撃が大きかったのが昨日出演していたTVの映像で、次の日に亡くなってしまう人がモニターの中で微笑んでいて変な感じがする。こういう人が自分の周りにいたとして、僕は気づけないフリをしてしまうだろう。きっと誰かが助けてあげるだろうって、役に立てないだろうって。
亡くなった人の言葉を思わずTumblrに投げてしまったり、それをネタにつぶやきそうになったり、こうして文字にしてWebに流すのは、知人と昨日のアナウンサーの見た?という会話をすることとなんら代わりが無いはずなのに、なんだかすごく罪悪感を感じてしまう。

ヘブンスマイル

酔った勢いかなんだか知らないけれど、いい意味で笑い方が気持ちが悪いと言われた。

いい意味であろうと悪い意味であろうとどちらにしろ気分が悪いし、そんなことを言われてリアクションを素直に返せず、なんか、心に鈍さが増した。

長澤まさみの笑い方が好きなので、気持ちの悪い笑い方が逆に心地よいということは分からない訳ではない。

けれど、それを直接に伝えて欲しくは無かったし、間接的にも勘弁したいものであって、伝わってしまったからには仕様がない所もあると思う。

こんな風に、まあ簡単に、心に影が出来てしまうのだから、気をつけられるだけ気をつけて言いたいことを言っていきたいなと、思うことでなんとかしたい。

2本目を撮り終わって感想

午後から雨が降るという予報だったのだけど、未だに雨音もしない。
今日は雨が降る前にと思って、午前中にカメラを持って散歩をした。
空気が暖かくて、風がたまに強くて、妙に明るい曇り空だったのでとても気持ちが良かった。カメラにはフィルムが15枚。すでに何を撮ったのかを半分くらいしか覚えていない。
空、ネコ、オッサン、車、花、子供。
見たことのあるものしか撮れないんだなと不思議になる。
誰かが現像をするときが一番ドキドキすると言っていた。今はまだ現像をしたことがないから何でドキドキするのかは分からない。今はまだ撮った瞬間に画像が見られない事にイライラする、シャッターを切った瞬間が、カシャっていう音が、時間が止まった感じがして一番気持ちいい。
まだ雨が降らない。

撮りました

ここに書くのを忘れていたのだけどサブアカで写真を載せています。
一本目の24枚、カメラの勉強は全くしてないので手探り状態なんですが、なかなか面白いおもちゃが手に入ったな、という感じです。
いま二本目に着手していてゆと部ポートレートなぞを考えています。webに載せないけどね。
そんな感じです。
ちなみにFlickrにもアップしていて、そちらだとタイトルが振ってありますが、webキャプチャも一緒にあるのでお好きなのをお選びください。
f:id:trsph
http://www.flickr.com/photos/24673001@N07/

太陽の黄金の林檎::レイ・ブラッド・ベリ

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幻想的な挿絵で飾られた素敵な22編の短編集
ほんのりと薄暗くて、なんだか靄がかかっていて、影は静かに嘆いている

今までにない読後感、爽やかで物悲しい
特に『ゴミ屋』は人生の矛盾のようなものを全て語りきったのではないかと思えるほど秀逸なので誰かとこの事についてお喋りしたい
僕はこの本を読み続けたい

読み続けたい本

  • コインロッカー・ベイビーズ
  • ジョジョの奇妙な物語
  • 太陽の黄金の林檎

たぶんしあわせ

二十歳になったので適当に書く。
1988年に生まれて経済的にいい時代があったわけではないが食糧難や戦争などを経験することなく呑気なままで成長でき、何故だかTVで流れていたサリン事件だとか少年犯罪だとかを自分の世界とは関係の無いことだと認識しながら小中を過ごせた。小5から始めたバスケットボールは中学での男子バスケットボール部のみの廃部によって早々と引退し、場当たり的に入った陸上部では練習せずに小学生以下の遊びをしていた。陸上部の後輩で何を勘違いしたのか中3のバレンタインデーに告白してきた人がいた。俺はその人が嫌いだったのでどうしてこの人が俺のことを好きになったのだろうと悲しくて残念で嬉しさは微塵も感じなかった。雑に断ってしまったことは後悔している。中2の頃に村上龍希望の国エクソダスを読みあっという間に影響された。このまま普通科目を学んだって仕方が無いだろうとあらゆる可能性を殺して漠然と電気を学ぼうと考え始めた。電気ならどこでも働けるだろうと、甘かった。無駄に英検3級を取ったりした。
高校に進学してからも異性との交流があるわけでもなく淡々とした日々。部活動はワンダーフォーゲル部に入部したが面倒臭さのあまり1年で辞めた。その後は所属するだけでよい部活に入りアルバイトも学外活動もすることなく順調に高校生活を消費した。工業高校ということもあり資格の取得だけは良く頑張ったと思うが今のところ何の役にも立っていない。講習の無かった電験3種は見事に落とした。大学には進まずに就職すると思っていたが、担任と両親と両祖父母から進学を薦められたため推薦が使える大学を受験した。もう少し賢ければもう少し難易度の高い大学を受験できたのだがこれはタイミングの問題であり何かの縁だろうと思っている。就職では電気科教員からさんざん脅された割に電気科生がすべて第一志望に受かり愉快だった。受験組も同じような状況で皆のほほんと卒業していった。
今のところ中学で村上龍を読んだ頃から何も変わっていない気がして、これから先も同じように何も起きないままで、ちょっとした変化に喜んで、周りと差を比べて勝手に落ち込んで、それでも淡い期待を持って、そんなこんなで運が悪くても30代とかになって、寂しくて、それさえも受け入れて、可能性が消えていくのを感じながらポップな終わりが来ることを願っています。
今日から成人。